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【フランスワーホリ】18回:留学中の一番の挫折。フランス語が出来なくて仕事を辞めました【南仏留学】月曜更新

更新日:

ワーキングホリデーでフランスに来た身としてはやっぱりフランスで仕事をしたい!(お金もないし。)という理由で留学1ヶ月目から日本食料理店でウエイターの仕事をしました。

が、結局2ヶ月で退職。理由は「フランス語が出来ないストレスでの体調不良」でした。

とても悔しい経験で思い出したくないというのが正直なところですが、今後留学される方の参考になればと思いレポートを書かせていただきました。

※これは2013年4月~1年間、南フランス ニースにワーキングホリデーで滞在していた頃の思い出話です。少し情報が古いのでご注意ください。

↓↓前回はニースのジャズフェスティバルでEarth,wind and fireのライブを楽しみました。↓↓

【フランスワーホリ】17回:ニースジャズフェスティバルでEarth wind and fireを見てきました!【南仏留学】月曜更新



仕事は友人の紹介で見つけました

フランスでの仕事の探し方といえば

  • mix B Franceなどの情報サイト
  • 街の張り紙
  • CV(履歴書)を持ってお店や企業を訪問

が主ですが、私の場合は運よく知人の紹介で日本食料理店の面接を受けさせてもらえました。

面接では給与形態や仕事内容の説明、私のフランス語力のヒアリングなどが主で日本のような堅苦しい面接ではありませんでした。お互いに条件はマッチしているよね、という確認程度です。

社長との面接でしたがとても感じの良い方で、ぜひ頑張ろうと思ったのを覚えています。

職種はウエイターか皿洗いから選べるのですが、皿洗いは筋力・体力が必要で女性には向かないということでウエイターを勧められました。

フランス語力は正直全然なくて、(渡仏前に仏検3級合格・DELF A1合格。ホームステイ2週間・現地語学学校3週間)不安だったのですが、社長曰く「使っていれば覚えるよ」とのことでした。

日本食料理店での仕事内容と給料

面接から1週間程度して、採用の連絡をいただきました。

レストラン名は伏せますが、ニースでも人気のある和食料理店です。

お給料は、当時の時給で€7。

10時~15時と17時~22時のシフト制でした。(休みは週1~2回程度)

他のレストランで住み込みで働いている友人が月給500€とのことだったので、それに比べると比較的時給は高かったです。

最低賃金とかは正直知りませんでした。2018年では時給€9.76みたいですね。日本円で約1200円・・・。高い。

ウエイターのお仕事はオープンの準備、客の案内・注文受け・商品サーブ、レジ・クローズといったところ。どう考えてもフランス語が必要なお仕事だったので不安いっぱいでしたが、せっかくのフランス留学なのでなんでも挑戦してみる気持ちで仕事に臨みました。

仕事中は制服が至急されるので服は困らないのですが、靴は自分で買わなければいけませんでした。滑りにくい黒の靴、とのことで、貧乏学生は必至でH&Mの運動靴で耐えました(笑)

仕事で苦労したこと

外国で仕事をするということは本当に大変なんだなというのを実感しました。

まず言葉が分からない。従業員は9割日本人で、その他も日本語の分かる方が多かったですが、客との会話は基本的にフランス語。入社したてはほぼ全く分かりません。

はじめのうちは日本人客のテーブルを任されることが多かったのですが、それでも最低限のフランス語は話せる必要があったので(急に声をかけられるので「ちょっと待ってね」みたいなフランス語)、初めのうちは必死に言葉を覚えました。

あとは「代わりに注文受けてきて」と言われることもあって、その時は相手が何を言っているのか緊張もあって全く聞き取れず、客にも従業員にもかなりイライラされました。

社長はほぼ来ないのでフォローしてもらえるはずもなく、「なんでこんなやつを採用したんだ」という空気感がめちゃくちゃ辛かったです。実際に目の前で言われたこともありますし。。。

(良い人もたくさんいたんですけどね・・・。)

 

あとはフランスでの食事のマナーについて理解が及ばず苦労しました。

日本では順番通りに出てこないことや、用意が出来たものからサーブするなどそれほど違和感がないのですが、フランス人は料理の順番やタイミングをめちゃくちゃ気にします。

ただでさえレストランでの就業経験がなく、コース料理のフレンチなんてまともに食べたことない生娘にはちんぷんかんぷん。「なんで今それを持っていくの?!」「何度言ったら分かるの?」というお叱りを毎日のように受けていました。

あとはワインへのこだわりもすごいし、お寿司を並々とした醤油の海へダイブさせてべっしゃべしゃのお寿司を食べてる姿も正直生理的に受け入れられず・・・。苦笑いでしたね。

マグロなどの寿司に甘ダレ(アナゴとかにつかうやつ)を付けて食べているのもちょっと驚きました。フランスと日本の文化の違いを見せつけられました。

仕事をして良かったこと

苦労の絶えなかったフランスでの就業経験ですが、もちろん良いこともたくさんありました。

まず第一にフランス語力が一気に向上したこと。使わざるを得ない状況だったので死に物狂いで勉強しました。自分のフランス語のできなさを痛感したので、アルバイトを始めてからはもう日本語禁止にしました。

もちろん従業員や日本人の友人と会話するときは別ですが、

  • 日本語の曲は聞かない
  • フランス語の教科書についているCDをひたすら聞く&復唱する
  • テレビもフランス語、Youtubeもフランス語のアニメ(日本のアニメもフランス語で見ていました)
  • 当時付けていた日記もすべてフランス語で書く
  • SNSもすべてフランス語で書く

それくらい本気でやりました。あとは休日も出来るだけフランス語の使える環境に行って、買い物や街の人との会話など積極的にフランス語を使っていました。

 

それから、さすが日本人経営の日本食レストラン。日本食をたくさん食べることができました。お昼のまかないや、余りものをつかった巻物の持ち帰りなど、日々の食事も充実しました。
フランスでお米を買うのってすごく大変なんですよね。あとは刺身のような生の魚を食べることとか。値段は高いし美味しくないし。その点、日本食料理店の流通でちゃんとした日本食が手に入るので、お金をかけずに食べることが出来たのは本当にありがたかったです。

 

あと、フランス人がチップをくれたときはこの上ない喜びがありました。大抵みんな「あなたがすごく頑張ってくれたから。特別だよ」と言って€5とか€10とか、こっそり渡してくれました。わざわざ帰り際に私のところまで来てくれるんです。

チップは店内で合計して従業員全員で分け合うので、どちらにしろ直接ポケットマネーにはならないのですが、気持ちがとてもうれしかったです。

こんなたどたどしいフランス語で、うまく出来なかった接客でも、評価してくれる人がいるんだと思ったら、うれしくて涙が出そうになりました。

ストレスで様々な症状が

仕事を始めて1ヶ月ほどして、人が足りないとかでほぼ毎日フルタイムで仕事をしていたためだんだんとみんなから認められるようになりました。

それでも苦手な先輩も多いし、仕事でうまくいかないことも多く、毎日気苦労が絶えません。

なにより全然休めない。みんな2週間連勤とかが当たりまえでした。

個人的にはお金も大事だけど、もっと近隣の散策とか旅行とかしたかったし、音楽(楽器を買いました)もやりたかったのでこんなに仕事だらけになることは何となく納得が行っていませんでした。

でも人が足りなくてみんな連勤しているのに、自分だけ日数を減らしてほしいというのも言い出せなくて、毎日悶々としながら仕事をしていました。

そんなストレスもあって、徐々に身体に変化が出てきました。

腕には赤い原因不明の発疹が大量に出来、生理不順、寝付けない、眠っても中途覚醒で疲れが取れない、動悸、ぼーっとするなどの症状が出てきました。

退職しました

様々な症状が出ながらもなんとか仕事を続けて2カ月を過ぎたころ、ついに右耳が聞こえなくなりました。

正確に言うと一定の音程以下が聞こえないのと空気の音や車のクラクションなどが異常に響いてしまう症状でした。

音楽をやっている身として、耳のダメージは耐えがたいほどの恐怖で、すぐに退職を決断しました。

なんとか聞こえる左耳を使って職場へ電話をし、退職の意向を伝えたところすぐに受領してもらえました。(明日から来なくていい、と言われた気もしますが・・・笑)

たった2ヶ月しか仕事に耐えられなかった悔しさは今でも忘れられません。

それでも、当時は肩の荷が下りたような安心感のほうがくやしさよりも大きかったです。

退職後の過ごし方とお金について

退職後はとにかく療養しました。

病院に行き、突発性難聴の診断を受けて薬や耳栓をもらって休養するように言われました。
※この時AIG損保のワーキングホリデー保険を利用しました。電話通訳もしていただき、病院代も薬代もすべて無料だったので本当に良かったです。

この日からはひたすら好きな動画を左耳で聞いて楽しみ(日本語解禁。)、耳の調子が良い日は少し散歩もするようにしました。(外の音がうるさく感じたので1ヶ月ほどは自宅にこもっていましたが。)

お金の面では心配もありましたが、日本の実家に事情を話して結婚資金で貯めていてくれた貯金を崩してもらいました。

自身の貯金や、今回の仕事でためたお金もあるのでしばらくは手を付けませんでしたが最後2ヶ月くらいは貯金を使わせてもらいました。(もちろん帰国後に働いて返しましたが。)

 

SNSで仕事を辞めた報告もしました。突発性難聴になったことも。

もっとみんなに馬鹿にされるかなと思っていましたが、たくさんの優しい言葉や応援の言葉をもらえました。
みんなに顔向けできるようになるために、フランス留学をもっと充実したものにしようと心に決めた出来事の一つになりました。

まとめ

海外での仕事は、想像しているよりもずっとずっと大変です。
私みたいに慣れない環境下で身体を壊す方も少なくないようです。

それでも経験として大切なものになることは間違いありません。必ずしも悪いばかりではないことは断言します。

不安があるとは思いますが、ぜひいろんなことに挑戦してみてくださいね。

もちろん無理はしないように。

 

次回はお隣のカーニュ・シュル・メールへお散歩へ行きます。

お楽しみに。

続きはコチラ↓↓

【フランスワーホリ】19回目ルノワールが余生を過ごした街カーニュ・シュル・メールへ自転車で行ってみた【南仏留学】月曜更新

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